震災の日に思うこと

今年も3月11日がやってきました。

あれから4年が経過しました。一昨年の秋に楽天イーグルス優勝直後の仙台を訪問してからはテレビ、新聞の報道でしか知り得ていませんが復興は一歩ずつ進んでいるようです。今朝の安部総理のコメントにあるようにご遺族、被災者の方々の消えることのないご心痛に寄り沿いながら日本全体で一歩ずつ進めていかなければいけないと思います。

一方で大勢の方々が亡くなり、日本中が命の大切さを実感しているはずなのに、阪神大震災の日から東日本大震災の日までのわずか2ヶ月の間に何件もの痛ましい殺人事件が起きてしまいました。特に18歳の少年の事件は私も13歳の息子を持つ父親としてなんともやりきれない気持ちにさせられました。ゲームの影響だと言われていますが確かに命を軽視しているような少年の行動を見ていると親の躾というより、今の学校の教育は本当に正しいのかと疑問に思ってしまいます。競争社会なので高学歴を求めて勉強することは大事ですが、私は道徳や哲学的な要素はもう少し必要ではないかと思っています。会社でも利益のみを追求せよと言われれば、従業員は目先のコストだけを考え顧客満足や社会貢献が後回しになってしまいます。同じように子供にテストの点数だけを追求してしまえば、協調性を失い点数を取れない子供は自分は価値のない人間だと人生に希望を失ってしまう悪循環を招いているのではないでしょうか。

私見を書いて恐縮ですが、私は学校で出産・育児・介護を体験を通じて学ぶべきではないかと思っています。確かに学力はその子の人生において収入を決定する大きなファクターであり、両親の立場でも少しでも高収入で安定した生活をしてほしいというのが1番の願いなのは確かでしょう。ですが、いざ社会に出てしまうと学校では学ばなかった大きな人生局面に直面します。結婚・出産・子育て・親の介護・葬式という流れです。

私は人生が幸福かどうかは収入の大きさよりも家族が仲良く団欒できることの方が大事ではないかと思います。勉強はお金という手段をより多く得るためのものであり、人生の目的である家族の幸せを実現する方法が後回しになっているような気がします。もちろん本来は親が教えるものではありますが、虐待を受けたり夫婦仲が悪い家に生まれた子は親から良い関係を構築する方法を学ぶことができません。また出産・子育て・介護は命の尊さを学ぶ機会であり、その大変さを知っておくことは妊婦さんや小さい子連れの母親、老人に対する思いやりにつながるのではと思います。言うは易く行なうは難しいでしょうし、思春期にこういったことを学んでも意味がないという学者さんもいらっしゃるかもしれませんが、まずは自分の息子に人生の先輩として一つずつ教えていくことから始めようと思います。

お問い合わせ・お見積依頼

メールにて承ります。
お気軽にお問い合わせ下さい。